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新曲について昨日書いたことに追記

  1. 2008/08/04(月) 11:23:57|
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 メモ。

 RIJFで新曲「新しい季節へキミと」をやる前、「似たようなテーマなんだけど、徹底的に」と宮本さんは言っていて、それについて昨日ちょっとブログに書いたわけだけど、それはちょっと間違っていたかもと思う。

 今朝起きたら、新曲のサビ部分を思い出せていて、歌詞も「春夏秋冬〜」で「グラデーション」だってことだけは思い出していた。それから、昨日は桜の歌の位置を間違えていて、この曲の直前だったことに気づいてなかったから。「似たようなテーマ」ってのは、つまり、桜の歌の「桜っていうのは、春には花が咲いて、散って、初夏には青葉(この季節が好き)、秋には紅葉して、冬には葉が落ちて、でも春にはまた咲くんだよ」(というようなことを桜の歌のインタビューでは何度も何度も宮本さんは言っていたけれども)のことなのかもしれないと思ったのだった。

 でも、新曲の歌詞をそこしか覚えていないので、これもまたぜんぜん違うのかもしれない。

リスナーの方に向いているということ

  1. 2008/07/05(土) 22:43:55|
  2. 曲・歌詞|
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 野音で「遁生」を聞いていて、あることを思った。

 遁生の歌詞は、有名な「ペットのようなら飼ってもいい」もインパクトがあるし、「小さき花をみるために」もとてもいいけど、やっぱり今の私に響くのは「俺と一緒に寝てくらそう」だ。とても優しい歌詞だ。

 この優しさは、昔から宮本さんの歌詞の中にあるものだ。かなり意識的に、でもつくっているわけでもなく、あると思う。

 たとえば、「ファイティングマン」では、「黒い薔薇とりはらい 白い風流し込む Oh Yeah」という印象的なはじまり方や、渋谷陽一さんが指摘した「正義を気取るのさ」の「気取るのさ」ってところのバランスももちろんいいのだけれど、やっぱり、「おまえの力必要さ 俺を 俺を 力づけろよ」という部分の優しさのインパクトはものすごい。どこからこういう歌詞を思いついたんだろうと思う。

 どういう風に話を持って行こうか迷いながら今書いているのだけれど……。

 以前にも書いたかもしれないけれど、私は、ファンになりたての頃、全アルバムをランダムに一気に聴いていたとき、「扉」から「風」への移り変わりがすごく気になっていた。BridgeとJapanでのインタビューも読んだが、それでは納得しきれなかった。私が感じた一番の変化がインタビューには表れていないと思った。

 「扉」を聞いたとき、私は寂しかった。宮本さんがこちらを向いていないと感じた。逆に、「風」では、こちらを向いている、私に向かって歌っていると感じた。渋谷さんと山崎さんがそれに気づかない(または、その要素を問題にしない)のは、宮本さんの知り合いで、会おうと思えばすぐ会える間柄だから、そういう部分を感じ取れないからだというようなことさえ、嫉妬混じりで考えた。

 野音で、「風」の曲をやってくれたので、そんなことも思い出した。

 今、私は、「誰かのささやき」を練習している。これは、リスナーへの優しさ全開ソングだ。「奴隷天国」の曲だって、ある意味では優しさソングなのだけれど、かなりひねってあるので、やっぱりわかりにくい。「ファイティングマン」も「遁生」も、とても押さえた趣味のよい(芸術的な)歌詞だった。でも、「東京の空」のこの曲は、最初から最後までリスナーに向けたそういう優しさが全開で、一種の開き直りを感じる。といっても、「東京の空」には、そうではないたくさんのほかの曲に囲まれているからできたことかもしれない。アルバム全体でバランスをとっているのだろう。

 そして、「ココロに花を」の曲は、もう一歩先を行ったのだろう。

 久しぶりの、与太話でした。久しぶりでもないか?

 あ、歌詞の表記は、確かめていないので、きっと間違っています。ご容赦を。

「傷だらけの夜明け」の一行目から広がった考え

  1. 2008/03/07(金) 15:17:49|
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 少し前のエントリーに、「傷だらけの夜明け」は夢のように美しいが、それはあくまでも夢のような美しさであり、今回の「それを愛と呼ぶとしよう」とは違うと書いたのと「矛盾するようだが」なことを今日は書こうと思う。このブログはそういう感じでいつも書いている。どのエントリーに書いたことも、自分の最終的な意見だとはまったく考えていない。このブログは、そのつもりでお読みください。

 書きたいのは、「傷だらけの夜明け」の最初のフレーズのことだ。「もう二度と泣かなくてもいいように、夜空の星をすべて君にあげよう」という最初のこの歌詞だけで、この歌が、単純な美しくて現実にはない夢をそのまま提示しただけの歌ではないことがわかる。「夜空の星をすべて君にあげ」ることはあまりにも不可能だということ。「もう二度と泣かない」ことだって不可能だ。不可能なのはわかっているけれども、それぐらい、どうにかして君を慰めたいのだと、この歌い手は言っている。

 「君」とは、そのときの宮本さんの恋人、ではない。この場合の君は、これは、歌を聞いている人ひとりひとりだと考えていいだろう。

 ここまで書いて、次にどう話を進めようかといろいろ考えて手が止まってしまって、しょうがないから散歩に行ってきた。実は、朝、ふとんの中で考えてたことを今書こうとしているのだが、短時間でかなり大きなイメージが浮かんでしまっていて、そんなに簡単に、理解できるように書くことができないようだ。仕方ないので、忘れないように、自分にとってしか話がつながっていないかもしれないが、結論のみ書いておく。

 宮本さんは、泣いている人を慰めたいという気持ちがものすごく強い。「笑顔の未来へ」のテーマはそれだが、この「傷だらけの夜明け」もそうで、それを言えば、エピックの頃だって、人をどうやって慰めようか、そういう自分とは何かというような主題が出てきていた。「それを愛と呼ぶとしよう」にも出てきていたと思う。

 もうひとつ、「傷だらけの夜明けの」、夜空の星をひとりの人にあげてしまうということの不可能性、でも、それでも「あげよう」と歌うというそのスタンスは、リスナーひとりひとりに届けたいというエネルギーの強さだけではなくて、そこのところの方法論というか、技術のすごさにもつながっている。そもそも、「ファイティングマン」の頃から、リスナーへの呼びかけ、ひとりひとりとつながりたい気持ちというのが歌詞に現れていて、それは、その気持ちの強さだけではなくて、それを表現する能力が優れていた(もちろん今も)ことを示している。

 ほかにもいろいろ考えたはずなのだが、書いているうちに忘れてしまった。またいつか思い出すだろう。


 

 

メモ 恋人のところに行く自分を歌う歌詞

  1. 2008/03/06(木) 23:42:47|
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 自分用のメモです。

 以前も少しふれたが、恋人のところに行く途中の自分を歌う歌詞。「やさしさ」(「行ってしまうなんて」というこの歌詞は、否定しているように見えて甘い飾りのある言い方なのか。)「かけだす男」「真夏の革命」。なんでなんだろう? 恋人のところに行ってからは……「かくれんぼ」とか。これもひとりだ。

 孤独な自分を歌う。これはネガティブな意味ではなくて、自分ひとりでいるときというのが、人間の根本的な状態だから。

ラブソングについての記述を修正する

  1. 2008/03/05(水) 14:55:24|
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 「Life」より後のラブソングについて書いたさきほどの記事を修正しようと思う。私は、最近ピアノでもギターでも一生懸命練習しているはずの「傷だらけの夜明け」のことをすっかり忘れていた。理論に合わない曲を都合よく忘れてしまっていたのだろうか? 私が基本的におっちょこちょいだから忘れてしまっていたのであろうか。

 それもあるだろうけれど、忘れていた大きな原因は、この曲が、少し、話題にあげていたほかの歌と系統が違うからだと思う。

 「傷だらけの夜明け」は、夢のように美しい歌だと思う。メロディも優しいし、歌詞は甘いが甘すぎず美しい。でも、それは「夢のように」美しいのであって、「それを愛と呼ぶとしよう」のような、生活に根ざした歌ではなかったと思う。そういえば、この系統のラブソングはほかにもあって、「真夏の星空は少しブルー」もそのひとつではないかと思う。また、私は少し苦手な「月夜の散歩」もその系統かもしれない(この曲はあまり聞いていないので確証はない)。「真夏の星空は少しブルー」は、「愛と夢」の中で一番好きな曲だ。ただし、あの機械のドラムは、何度も聞いていると気持ちが悪くなってしまうのが惜しい。

 宮本さんは、「生活」を作っている途中のインタビューで、「遁生」について語っているときに、「ペットのようなら飼ってもいい」というあのフレーズについて聞かれて、現実にいるわけもない、自分を理解してくれる夢の中の女性のことを答えていた。つまり、夢と現実は違うということだ。また、「詩を感じない」とも言っていた(「風に吹かれて」p.156-57)。その頃、たぶん、宮本さんの中では「詩」と「生活」が対立していて、女性との関係が美しい詩のようなものではないことに絶望し、それが「遁生」として表現されていたのだと思う。

 「真夏の星空は少しブルー」や「傷だらけの夜明け」は、「詩」の部分の精髄を取り出したような歌だ。私は、この2曲が大好きだけれども、今回の歌は、それとは方法が違っていて、「遁生」では絶望として歌われていた生活というものが肯定的にとらえなおされているのだと思う。

 いや、考えてみると、「遁生」でも、それは絶望の中のほのかな希望として歌われていたのだろうか。いや、やはり、その頃は、歌としての生活に対するスタンスがまったく異なっていたと思う。

歌うまい

  1. 2008/03/05(水) 12:36:52|
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 っていうか、ひとつの記事にまとめて書けよと思うが、後から後からいろんなことを思ってしまうのでしかたがない。

 宮本さんは「それを愛と呼ぶとしよう」が「今回のレコーディングで最も歌いにくかった。僕は歌が下手になったんじゃないかと衝撃を受けた」とおっしゃっていますが、すんごいうまい。いや、結果的にうまいからこういうことが言えるのだが、むちゃくちゃうまい。歌うまいなー。

ギター、宮本さんじゃないかも

  1. 2008/03/05(水) 12:31:53|
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 「桜の花、舞い上がる道を」、CDでギターの音を聞いていたら、宮本さんじゃないような気がしてきた。宮本さんにしちゃクリアすぎる気がする。PVだと音がゆがんで聞こえたんで、そう思いこんだだけのような気がしてきた。わかんないけど……。

 おさわがせしましたっ。(わかんないけどね……。)(<--ゲスト・ギタリストの西川進さんだそうです。(3/6追記)

 なんか、恥ずかしいなあ。今後は、ブログで「宮本さんのギターだと思う」とか言うの、やめようかしら。

追記につぐ追記

  1. 2008/03/05(水) 12:26:28|
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 いや、この曲、もしかして、基本はファンへの思いを表現していると言ってもいいくらいでは? だって、最初の部分は完全にそう解釈できるし。

 もちろん、ラブソングとしても完璧だ。

 (そして、もちろん、宮本さんの私的な恋愛状況がそれで何か変わったわけではないが。)

さらにさらに追記

  1. 2008/03/05(水) 11:58:44|
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 あれ? この曲(「それを愛と呼ぶとしよう」)のおまえって、自分(リスナー、ファン)への呼びかけとして受け止めることもできるのか。(閑話休題さんの記事を見て気づいた。)

 そう思って聞きなおすと、確かにそう聞ける。

 いいラブソングっていうのは、そういうものなのかもしれない。

 いや、ほんとにそう聞ける。
幸せの光を
お前に見せてやりたくて 今日も悩んでた
挫けそうな時は忘れるな 俺がいる
それから
これからもよろしくな
って。なんか、そう思うと嬉しいなあ。ファンである私が、宮本さんにとても大切にされている感じがする。

 

さらに追記

  1. 2008/03/05(水) 11:47:03|
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 さきほど、「Life」以前のラブソングには共感したことがなかったと書いたが、「今宵の月のように」と「さらば青春」はいいと思っていました。今は思いつかないけれど、ほかにも共感した曲はあったかもしれない。

「それを愛と呼ぶとしよう」の感想の追記

  1. 2008/03/05(水) 11:20:10|
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 「これまで、宮本さんのラブ・ソングにはあまり共感したことがなかった。」とさっき書いたが、それはLifeまでの歌のことです。

 それ以降は、「勉強オレ」や「イージー」では女性について考えてたところはあったけれど、それはどうもラブソングという感じではないようだ。

 アルバム「風」の「平成理想主義」や「風」で、これは……と思った。なんとなく、関係をきちんと歌っているという気がした。

 「町を見下ろす丘」の、宮本さんもインタビューで言及していた「人生の午後に」にちらっと出てくる場面でも、そう思った。

 「starting over」では、過去を振り返る3つの歌(「こうして部屋で」も一応入れておく。あとは「リッスン」と「Johnny」)は、わかりやすくて、とてもよかった。「笑顔の未来へ」の歌詞は、語られている状況がそれほど具体的ではなかったので、聞いていて、かえって、宮本さんの恋愛の状況について考え込んでしまったりしたが、これもまたよかった。

 「それを愛と呼ぶとしよう」が生まれる素地は、何年もかけて、だんだん整ってきていたのだろうという気がする。

「それを愛と呼ぶとしよう」を聞いて

  1. 2008/03/05(水) 10:33:17|
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 CDが届いたので、聞いてみた。2曲目の「それを愛と呼ぶとしよう」から聞いた。その後桜の歌も聞いたが、PVで聞きすぎてちょっと飽きてしまっていた。

 それで、「それを愛と呼ぶとしよう」の感想だが、いい歌だ。事前に想定していた、女性ファンとしてのネガティブなショックはあまり感じなくて、すなおに聞き入ってしまった。特に、YANAGIMANにバラードにしようと言われてその場で考えたというAメロが渋くて好き。

 歌詞もよい。よいというか、今まで宮本さんのラブ・ソングに感じなかったような共感を覚えた。説得された。宮本さんへの思いを支えに生きるんじゃなくて、自分の生活を大切にしようかとちょっと思った。この歌の説得力はすごいと思う。

 私は、これまで、宮本さんのラブ・ソングにはあまり共感したことがなかった。まず、「今宵の月のように」以外は、状況を物語的に語る歌ではなく、歌詞の意味がよくわからなかった。また、あまりにも、宮本さんの状況や気持ちの機微に歌詞が限定されすぎていたということもあったのかもしれない。

 また、宮本さんの歌詞には、倦怠感をかかえ、一緒にいるしかない、恋愛ではない関係を否定するようなところがあった。moocsのインタビューで、宮本さんは「遁生」の歌詞を引き合いにだして、「「生活」の頃の視点とそんなに変わっていないと思うんですけど」と言っているが、どうしてどうして、目を付けるところは変わっていなくても、価値観が180度変わっているように聞こえる。変わっていないというなら、「遁生」のときにはそれを表現しきれていなかったということだろう。

 これまで、宮本さんのものの見方と表現力なら、「恋愛」ではなくて、日常ということをはっきりととらえたラブソングができるはずだし、作って欲しいと思っていた。たとえば「Dead or Alive」にはものすごく共感できるのに、ラブ・ソング系でそれがないのが物足りなかった。

 この歌では、それが実現しているように思う。最近、私が「ふたりごと」を聞いていたのは、もしかして、これをある程度予測していたからかもしれない。(ファンというのは、たぶんある程度アーティストにシンクロするものだと思うから。)でも、やっぱり、宮本さんはファンの一歩先を行っていた。いい歌だと思いました。

 頭のおかしい女性ファンとしては……(ため息)……ここまで言われちゃあ、諦めるしかないだろう(何を?)。宮本さんの今までを振り返ると、どうも、音楽の調子がいいときっていうのは、女性関係がうまくいっていたときなんじゃないかと考えていたので、まあ、この絶好調の裏には女性ありとは思っていた。「笑顔の未来へ」もあったし。でも、この曲で、あまりにも具体的な状況と気持ちをここまで正々堂々と歌われちゃうと、もう何も言えません。結婚しますって言われても、あんまり驚かないかもしれん。

「それを愛と呼ぶとしよう」

  1. 2008/03/03(月) 10:15:33|
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 「それを愛と呼ぶとしよう」の歌詞が波紋を広げているらしいですね。私は曲を聞くまで歌詞を見ないつもりなので、想像するしかないのですが、どうやら私のような頭のおかしい女性ファンにはネガティブなショックを与える類の歌詞のようです。衝撃に備え、静かに心の準備をしております。

 でも、音楽的にはとても期待しています。宮本さんがこの曲について少しネタバレしつつ語っている、オフィシャルに載っていないインタビューがあることを教えていただきました。16:44現在、オフィシャルにも掲載されています。曲を聞くまで内容を知りたくないという方は、見ない方がよいと思いますが、これを読んで、ますます新曲が楽しみになってきました。

http://moocs.com/special/powerpush/elekashi/vol001/

「扉」のギター

  1. 2008/03/02(日) 11:54:49|
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 昨日の夜中に書いたことを急いで修正および補足させていただきます。

 「扉」はすごくいい!

 今「扉」をかけながらごはんを作って食べてたらそう思いました。といっても、前半は、何もほかのことをやらずにじーっと聞いていられないというのはそのままです。ごはん作ってたからどちらにせよあまり聞けてなかったのでよくわからないけど。

 で、とにかく、今気づいたのは、「扉」の、特に後半は、歌よりもむしろギターに意識を集中させて聞いた方がいいのかもしれないということ(ただし、曲によってその聴き方のバランスには違いがある)。あと、音のなるべくよいプレイヤーで、大きな音で聞いた方がよい。

 今はパソコンで聞いているのでまたわからなくなりましたが、別の部屋にあるわりあいに音のよいプレイヤー(自分のための記録として書いておくと、居間の大きいやつ+スピーカー)で聞いていたら、「必ずつかまえろ」のギターもむちゃくちゃよかった。この曲は、歌よりもギターを聴いているとすごい感じがした。これもメインのギターは宮本さんだと思う。

 こういう風に、歌を中心にしない曲は、「扉」の後半だけなのだろうか。[starting over」は歌以外の部分もいいけれども、中心がほかのところというわけではない。「扉」以外のアルバムではどうなんだろう? 今までちゃんと聞いていなかったので気づいていないだけで、聞き直すとほかにもあるのかな? でも、ざっと思い出してみたところでは、ギターが中心なのはやっぱり「扉」の後半だという気がする。「Dead or Alive」と「俺の道」は歌とメッセージとバンド全体のサウンドだと思うし。「風」はむしろ宮本さんのギターを排除しているし。「町を見下ろす丘」は全体のバランスだろう。(「扉」の前半は? 聞き直していないからわからないが、歌とメッセージ性が強いという気がする。)

 つまり、「扉」は、宮本さんのギターがテーマだったのではないか。インタビューなどからはこれまでもそう感じ取れていたような気もするが、今日また認識をあらたにし、実感した。

「星くずの中のジパング」をヘッドフォンで聴いた

  1. 2008/03/01(土) 23:48:06|
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 私は、「扉」の中で「星くずの中のジパング」が一番好きだ。同じくらいか二番目に好きなのが「パワー・イン・ザ・ワールド」。「星くずの中のジパング」はあんまり褒めているのを見たことがないので、ここで言っておく。もう、ものすごくいい曲だ。ギター最高。

 で、今日、初めてヘッドホンで聞いてみた。私は今までなぜかヘッドホンで音楽を聴くことがなくて、いつも近所を気にしつつスピーカーで聞いていたのだ。ヘッドホンで聞いた「星くずのなかのジパング」は今までよりもさらに最高でした。

 最高、最高って、どこがいいのかぜんぜん言っていないが、なんというか、いいのだ。歌詞は言ってみればエレカシの王道ではない歌詞かもしれない。昔の世界へのあこがれって私は持っていないから、感動するというのでもないし。でも、いい歌詞だ。宮本さんの言葉の才能がうまく出ていると思う。「明日また会おう、今日は帰ろう、もう寝よう」って言った後に「義によって死んだヒーロー」と続いていくとんでもない流れもいいし。この、意味があるんだかないんだかわからないがすごくいい歌詞もいいが、曲もいいし、アレンジもいい。それに加えて、録音も凝っている、ということが今回ヘッドホンで聞いてやっとわかった。「未来はどこ?」ってところなどで、音が響いているのに気づかなかった。あと、ギター・ソロのところのギターは左側から聞こえてくるのだが、右側から別のギターも重なっていて、それもいいということを認識しなおした。どっちも宮本さんのギターだと思う。

 これはよけいなことかもしれないが、私は「扉」をあんまり聞かない。どうも、ちょっと苦手なのかもしれない。最後まで聞けなくて次にとばしてしまう曲が多い。「扉」でそれって、ほんとにおまえはエレカシ・ファンなのかという感じだが、ファンです。なんでなんでしょうね。ちょっと疲れちゃうのかな。でも、そんな中で、「星くずの中のジパング」と「パワー・イン・ザ・ワールド」は、聞いていても飽きないし、何度も繰り返して聞く。

 やっぱり、宮本さんのギターがいいからなのか。とにかく、私にとってはこの2曲は音がすごく聞きやすい。

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