川上未映子さんの「乳と卵」を読んでみた。読みにくいとか、文章が独特だとか、女性の生理やら胸やら卵子やらの話を延々と語っていることからくる嫌な感じとかの、事前の、聞こうとしなくても入ってくる情報と、帯に書いてある説明から読み取れる物語の設定のありがちさから感じていた漠然とした予想に反して、なんかさっぱりしたいい印象を受けた。
文章が独特だとよく言われているみたいで、確かにブログの文章はあまり好きだと思わなかったのだが、これは慣れると大丈夫というかむしろ心地よい。設定や内容のありきたりな雰囲気も(とくに最後の卵の部分は不自然でちょっとつまらなく感じて、緑子が結局かわいらしい愛情あふれた子だったというオチ(これ、オチなんだと思うけど)もいまひとつ物足りない)、芥川賞と話題作りを狙っただけなのかもしれないし、みんなに読んでもらうためにそういう努力をするのもべつに悪いことではないのだろう(いやそういうつもりではないのだろうか。この内容が本当に書きたくて書いてるのだろうか。そこらへんはよくわからない)。これでもかこれでもかと、女性の裸やら胸やら生理やらの嫌な部分についての話が続くわりには、文章があっさりしていて、嫌な感じがしないのがむしろすごい。読後、頭にも体にも何も残らないのもよい(これ、嫌みじゃなくて真面目に書いている)。そのあたり、さすがはエレカシ・ファンということか。
ふむ。川上未映子さんに関しては、いつも、事前の予想がいい方に裏切られちゃうんだよな。はー……(と、ため息をつく女性エレカシ・ファン)。
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思い直して少々訂正。
内容がありきたりというようなことを書いたけど、そんなことはない。巻子について実感がわかないだけで、主人公が思うこととか感じることとかの書き方はなんかよくわかるし、ぜんぜんありきたりではない。解説に書かれるような粗筋だけ読むとつまらなそうだけど、そんなんに影響されてはいけないのでしたね。構成は、もっと、何も起きなくて仕掛けもない方が好みだけど。
宮本さんが散歩のおともにと推薦している永井荷風の「日和下駄」の散歩をやってブログに書いてねと閑話休題さんにお願いしたら、リクエストに応えて始めてくれたのに、私はちゃんと反応できていない。なにしろ東京の地理も、日本の歴史もぜんぜんわからなくて、苦手意識があるので、ほんとに頭に入らない。
そもそもタイトルになってる日和下駄という言葉がよくわからないので、今日、初めて広辞苑で調べたら、「おもに晴天の日にはく歯の低い下駄。」とある。Wikipediaで調べたら、「足駄(雨天用)に対する意味でこの名がある。時期によって定義はいろいろとあるが、男物の場合は角形で台は桐(糸柾目が高級品)、長さ七寸二〜三分(女物は五分ほど短い)。歯は二寸二分程度がふつうで(大差という)、これを三寸三〜四分にすると(京差という)、足駄(高足駄)というようになる。」だそうだ。ぜんぜんわからんぞ。なんで寸単位なの。一寸て何cmよ。「尺貫法で、長さの単位。尺の10分の1。1寸は約3.03センチメートル。(広辞苑)」だそうです。まあとにかく、雨が降ってたら散歩はしないぞってこと? でも、それなら、「いかに好く晴れた日でも日和下駄に蝙蝠傘でなければ安心がならぬ。(p.287)」っていうのはどういうことなのか? ちなみに引用は現代日本文学大系23の永井荷風集(一)からしている。広辞苑にあるようにあくまでも「おもに」なのだから、雨が降ってても履くことがあるのだろうか。靴や草履と比較すれば雨に強いということなのだろうか。
そんなことはまあどうでもいい。閑話休題さんは、平川門に行ってきたというのだが、白状しましょう、私は、平川門が皇居の門のひとつだということを今まで知らなかった。さらに、大変恐ろしいことを白状すると、私は、今この瞬間まで、皇居が江戸城だったことを知らなかった。今、ネットで調べて、なんか、昔そんなことを聞いたような気がするなあとは思ったが。このように、私の歴史と地理の知識は、限りなくゼロに近いと言っていい。なにしろ、日本史は小学校で習っただけで、中学に入ったら日本史がなくて、高校では藤原京かなにかまで習ったところで転校してしまい、平安京にもたどりつかずに終わってしまったのだ。だから、私の知識は小学校で習った「いい国つくろう鎌倉幕府」くらいのものである。実はそれさえ、今では間違いということになっているというではないか。なんかもう救いようがないのではないでしょうか。宮本さんファンとして、私はこれからどうすればよいのでしょうか。
閑話休題さんの平川門訪問記
めったにお酒は飲まないが、今日(昨日か)は飲んでしまった。飲み終わってから5時間近くたってるのにお酒が抜けていない。めずらしい。というわけで、さっき帰ってきたところなので、毎日なにかしら書くはずだったエレカシ日記をお休みしてしまいました。明日(今日か)からまた書きます。最近、アクセス数を支えに生きているところがあるので、書くと思います。でも、本当は別のことをそろそろやりはじめなくてはならない。
今日は、東京に行きました。池袋で途中下車して、パルコのタワレコでFlying Postman Press をもらおうと、方向音痴にもかかわらずがんばってたどり着いたのに、そして、店内に見当たらないので、店員さんに話しかけるの苦手なのにもかかわらずがんばって店員さんに聞いたのに、ありませんでした。この前の渋谷のタワレコの結局見られなかった「衣装」に続き、都会は厳しい。タワレコと私の相性がよくないのかも。
行き帰りの電車の中で荷風を読んだ。荷風の小説って、人妻未亡人義妹義姉待合の女芸者隣の未亡人隣の娘隣の姉妹遊郭の女義理の娘、とにかく女だらけ。そして、ほとんど皆ばたばたと主人公と関係を持つ。
荷風は、宮本さんファンになるまで読んだのは「濹東綺譚」だけで、それはとても面白いと思ったが、どこかの文学館で見たレビューの踊り子と映ってる写真のイメージが強かったからか、それ以上読まなかった。
ファンになった後、宮本さんお勧めの散歩の本(題名を度忘れした)と、初期の中篇と、宮本さんが赤本かどこかで言及していた岩波文庫の「断腸亭日乗」は読んだ。わりあいに最近のことだ。それから、宮本さんが若い頃に4万円で買ったとこの前Yahoo!ライブトークで言っていた古い荷風全集を送料込みで4000円で買った。それは数ヶ月前のことで、それからぽつぽつといろいろと読んでいた。散歩の本は漢文が読み下せなくてかなり難しかったが、「生活」などの歌詞にものすごく影響が現れていることがわかった。あの歌詞は荷風なしには語れない。「断腸亭日乗」は非常におもしろかった。荷風のこともよくわかるが、戦前戦中の記録としても一級品であると思った。
で、今日読んでいたのは全集第10巻の前半だったが、これがまあ、女女女で、これを宮本さんも読んだんだなあと思うと非常に感慨深かった。これと宮本さんの歌詞と宮本さんの女性についての言動をまとめて考えると、なぞは深まるばかりである。宮本さんの女性観は不可思議である。
今日は寝て起きてから書くつもりだったのに、寝る前に書いてしまった。
おととい、電車の中で太宰治を読んでみた。太宰治は苦手な作家だった。
中学生くらいのとき家にあった「斜陽」を読んだのが最初だと思うが、そのときは、特になんの感慨も覚えなかった。高校生のとき、「人間失格」を読んで、これは自分のことを書いているんじゃなかろうかと思った記憶があるが、最近読み直したが、そんな感慨は浮かばなかった。その後、自殺した人の作品は読みたくないと思ったのか、あんまり読まずに来た。晩年の短編集と、「津軽」と、あと新潮文庫を数冊読んだくらいだ。「津軽」の最後のところは、何度読んでも泣いてしまうのだが。
今まで、太宰治は「珍奇男」的な印象が強くて、読むときにとても抵抗を覚えていたのだった。その抵抗の詳細については、書くと長いので割愛する。それが、この間の、サンボマスターの山口隆さんの番組での宮本さんの話を聞いて、ちょっと太宰でも読んでみるかと、少し長距離の電車に乗るついでに、荷風全集の一冊とともに、ツレの新潮文庫を一冊持って乗り込んだのだった。(ツレは、太宰が好きである。)本当は宮本さんが言及した「二十世紀旗手」か「如是我聞」がよかったのだが、そしてその二冊は、以前から読もうと思っていたのだが、なぜか以前から家のどこを探しても見つからないので、「グッド・バイ」にした。これは、以前斜め読みにして、苦手だなと思っていた本だった。
で、その電車の中で読んで、さっきまた読んで読み終わったのだが、これがおもしろかった。この本の最後にある、未完の小説「グッド・バイ」が一番おもしろかったかもしれない。読みながらかなり笑っていたのだが、太宰はこんな小説を書いている途中に自殺してしまったのだ。(心中というより、やっぱり自殺だろう。)
宮本さんにはまったく関係ないが、同じく自殺した作家である鷺沢萠さんが自殺前に書いていた小説「ウェルカム・ホーム!」も、軽くて暖かい、影を感じさせないタッチだったことを思い出した。鷺沢萠さんは35歳で自殺した。宮本さんの30代後半(男性)危機説は、鷺沢萠さんにもあてはまっていたのだろうか。